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【雑誌くるとんからPick up!】くるとんVol.52

亡き父、幻のお客/お好み焼き たつみ屋

岩国市 たつみ屋 

店名の由来

店名の「たつみ」は店主・佐藤千代子さん(80)の父の名前。父は戦争で戻らぬ人となったが、店を守ってもらうつもりで、その名をつけた。
昭和46年(1971)、当時33歳だった千代子さんは、夫の転勤で岩国の川下へ引っ越してきた。借家の1階には広い駐車場。お好み焼きが大好きだった千代子さんは、そこを使ってお店をすることを思いつく。
夫の亮治さん(85、当時38)は会社員だから店で儲ける必要はない。店を作る資金はというと、つい10ヶ月前、三女を出産したときの御祝い金がある。お金をくれた夫の母にはちょっと気が引けたが、「たつみ屋」という名前はもう決まっていた。
さて、開店当日の慌ただしい最中、ふと店頭に人影が見えた。男の人が店の様子をうかがっている。
「あっ、すみません。まだ準備中なんですよ。もう少し後に…」。
そう言ってちらっと顔が見えた時、ハッと息をのんだ。その人の顔が亡き父にそっくりだったから。
すかさず、準備を手伝ってくれていた母が、「もうちょっとじゃけぇ、待ってもろうたらええ」と、その男性を追いかけたが、姿はもうなかった。
記念すべき最初のお客さんは、亡き父だったと、千代子さんは今もそう信じている。

「もうやめようか」

川下で6年くらい店を続けた後、南河内に家を建てて暮らし始めた。その後、臥竜橋通りの店が空いたと聞いて、たつみ屋を再開し、隣の花屋さんが廃業すると、壁を取っ払って店を拡張した。
店はずっと忙しかった。
夫は会社勤めだから、千代子さんは三人の娘を育てながら店を切り盛りしてきた。昼の2、3時間は戦場のような忙しさ、夜にもこれが繰り返される。土日になるとそれはもう、「倒れそうになる」ほど。
「私は気が小さいからね、お客さんを待たせるのが悪くて焦るんです。そうしたら、美味しく焼けないときがあって、申し訳なくてね」。
開業してから20年、50歳を越えた千代子さんは、ほとほと疲れて、「もうやめようか」と周囲に漏らすようになっていた。
そんな廃業の危機を救ったのは、三女の栄子さん(48)だった。
栄子さんは当時22歳、店に近いホテルに勤めていたが、「あのお店がなくなるのは惜しいねぇ」と色んな人に言われるようになった。
「お店を継ぐ気持ちはさらさらなかった」。ただ、疲れた母を助けたい。その一心で、栄子さんは店に入った。そのうち、千代子さんの夫・亮治さんも早期退職し、店を手伝うようになると、現在の親子三人体制が整った。

母の仕事ぶり

店を手伝ってみると、それまで気にも留めなかった千代子さんの仕事ぶりに、娘は目を見張った。
短時間にたくさんのお客の注文を受けて調理する。鉄板に並ぶ材料がいったい誰のどんな注文なのか、栄子さんにはさっぱりわからなくても、千代子さんはわかっている。
テキパキ調理する母の姿が、娘にはまぶしかった。そんな栄子さんも店に入って26年、今では母に代わって店を切り盛りする。
実は栄子さんは、お好み焼きがさほど好きではなかったのだという。ところが、いつのまにやらお好み焼きが大好きになっていた。だから、店で焼いたお好み焼きを昼ご飯にする毎日にも、まったく飽きないのだとか。焼き加減はどうだったか、季節によって違うキャベツの食感や味わいを毎日確かめる。

何かの因縁

一日の営業を終えると栄子さんは翌日の仕込みをして、掃除をして、そして至福の時を迎える。
ピシッと缶ビールを空けて飲み干すと、その日の疲れが吹っ飛ぶという。もうすっかり女店主である。
千代子さんに言わせると、栄子さんがこの店を継ぐことになったのは、「因縁」なのだという。
「だって、栄子が生まれた御祝い金でお店をつくったんですからね」。なるほどである。
幼い栄子さんを店で寝かしつけて、千代子さんはお好み焼きを焼いてきた。そして娘の栄子さんもまた、わが子を店で育て、その娘はすでに成人になっている。これもまた因縁か。
さて、千代子さんの亡き父に似た男性はというと、あれ以来、二度と店に来ることはなかったという。
その代わりにたくさんのお客が連日やってくる。鉄板で調理する音、漂う匂い。そして今日も店は、おいしい笑顔に満たされて、働き者の親子の笑顔も弾ける。

岩国市 たつみ屋 お好み焼き

 

案内マップ
岩国市岩国1-16-1
営業/11:00~(店内飲食L.O15:00・お持ち帰りL.O19:00)
休/日・月曜
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